魔物は消せない。でも、慌てない脳は育てられる― スポーツ心理学でマインドフルネスが基本とされる理由 ―
- Lottie
- 23 時間前
- 読了時間: 8分
オリンピックには「魔物がいる」。
オリンピックになると必ず「魔物」に関する記事がでる。
実は、スポーツ心理学を勉強しているとその「魔物」について様々な視点で考える機会があり、東京オリンピックの時期に「魔物」についてのブログを書いた。
当時、アメリカオリンピック・パラリンピック協会シニアスポーツ心理学者がオリンピック選手の心の動きに関する話をしている動画では、
「アスリートが自分のマインドがどのように機能しているのか?を知り、心の扱い方やあり方を学べば自分の持っている潜在的能力を発揮することができる」
と言っていて、そのブログにも脳の働きと心の動きについて触れた。
それから、約6年。
今年も「魔物」ついての記事が複数あった。
改めに「魔物」ついて考えてみた。
「魔物」とは「チョ—キング」のこと
オリンピックのような大きな舞台では、どんなトップアスリートでも普段ではありえないようなミスをする。
誰にも説明ができないようなことも起きる。
手が震える。
足が重くなる。
頭の中で不安な声が止まらない。
涙が止まらない。
普段なら簡単にできる動きが、急にできなくなる。
その感覚を説明しようと思っても、なかなか、言葉に表すことができない。
ネガティブな出来事の記憶や思考が一気に押し寄せてくる。
人はそれを「魔物と呼ばれる瞬間に出会った」という。
スポーツ心理学では、この状態を「チョーキング」という。
なぜ「魔物」が現れるのか
魔物の背景には「内的刺激」と「外的刺激」という2つの刺激が強く影響していると言われている。
内的刺激とは、「もし勝てなかったらどうしよう」「相手は自分よりもっと強い」といった否定的な思考など、自分の内部から生まれる刺激のことだ。こうした思考を脳が“脅威”と評価すると、恐怖が生じ、筋は緊張し、心拍数や呼吸数が上昇する。そして慌ててしまい、うまくタイミングが掴めなくなる。
一方、外的刺激とは、試合会場の騒音やコーチ・審判などの反応といった外部環境からの刺激である。これらも脳が“脅威”と判断すれば、同様のストレス反応が起こる。注意が競技とは無関係の方向に向き、情報処理が妨げられ、パフォーマンスが低下する。
外的刺激が内的刺激を引き起こすことも少なくない。たとえば観客のざわめきが、「失敗したらどうしよう」という思考を誘発することがある。
人が強いプレッシャーを脅威として評価すると、扁桃体が活性化し、まず交感神経系が優位になる。これを「戦うか、逃げるか反応(fight-or-flight response)」という。
すると、
心拍数が上がる
呼吸が浅くなる
汗をかく
と、体は即座に反応する。
さらに状況が持続すると、HPA軸も作動し、ストレスホルモンが分泌される。
外的であれ内的であれ、「脅威」と評価された瞬間に、同じ生理反応が引き起こされるのである。
この身体反応に対して前頭前野が意味づけを行う。つまり、「この物理的な反応に合致するストーリーを探し、展開し始める」ととらえるとわかりやすいかもしれない。
「踏み切りは大丈夫か?」
「失敗したらどうしよう」
「ここで転べない」
脳は生存を優先する設計になっているため、リスク回避のために身体反応へネガティブな意味づけを行いやすい。これが、いわゆる「ネガティビティバイアス」である。
そうすると、自動運転だった身体の動きが、急にマニュアル操作に変わってしまう。
チョーキング研究で知られる心理学者Sian Beilockは、「考えすぎること」が熟練した動きを壊すと指摘している。
つまり、本来は無意識でできる動きに前頭前野が過剰に介入すると、身体は突然うまく動かなくなる。
これが、いわゆる「チョーキング」と呼ばれる現象であり、アスリートはこの現象を「魔物」という。
これは、努力不足でも、才能不足でもない。脳の自然な反応である。
脳の仕組みと心の動きを理解しているアスリートは、なぜ慌てないのか
脳の仕組みと心の動きを理解してないアスリートは、不安が出た瞬間に、
「やばい、緊張してる」
「自分は弱い」
「もうダメかもしれない」
と、思考がうるさく感じ、不安に飲み込まれる。
一方、脳の仕組みと心の動きを理解しているアスリートは、同じ不安が出ても、
「あ、今脳がプレッシャーを感じているんだな」
「これは自然な反応だ」
と気づく。
心の動きを客観的に観察することができる。
この違いは、「気づく力」をもっているか否かだと思う。
マインドフルネスは、「気づく力」を育てるトレーニング
スポーツ心理学の教科書では、マインドフルネス瞑想がメンタルトレーニングの基本として紹介されている。
心が安定していないと、メンタルトレーニングをやっても、効果を感じにくいからだ。
瞑想と聞くと、
「無になる」
「何も考えない」
と思う人は少なくない。
しかし、マインドフルネス瞑想は、「自分の思考に気づき、評価判断をしないで手放す」練習だ。
マインドフルな状態とは、「全ての動作•所作に意識が行き渡ってる」「心と体がシンクロ状態」を指す。
そして、マインドフルネス瞑想は、扁桃体の過活動を抑え、前頭前野の感情制御機能を高める可能性があることが報告されていて、アスリートのパフォーマンスに関する様々な研究報告もある。
ここからは、マインドフルネスの哲学的側面について触れてみたい。
私がお伝えしている、伝統的な瞑想では、心と身体をシンクロさせることは、「誰かが自己啓発のために考え出した概念や思いつきのテクニックではなく、人間としてのあり方、そして自分の感覚知覚、自分の心、自分の身体をどのように併用するかについての基本原則」と言われている。
「心と身体をシンクロさせることは、恐れのなさを育てることともつながっている。恐れのなさとは、あなたが崖から飛び降りることを厭わないとか、熱いストーブの上にじかに指を置いたりすることを厭わないという意味ではありません。そうではなく、ここでの恐れのなさとは、現象世界全体に対して正確に反応できることを意味します。それは単に、あなたの感覚知覚、あなたの心、あなたの視覚という手段を使って、現象世界と関わることにおいて正確であり、絶対的に直接的であることを意味します。その恐れ知らずの視覚は、あなたにも反映されます:それは、あなたが自分自身をどう見るかに影響するのです。鏡の中の自分を見ると --- 自分の髪の毛、自分の歯、自分の口ひげ、自分のコート、自分のシャツ、自分のネクタイ、自分のドレス、自分の真珠、自分のイヤリングなどを見ると --- それらはすべてそこに属するものであり、自分もそこに、あるがままに、属していることがわかります。」
(チョギャム・トゥルンパ『シャンバラ ― 勇者の聖なる道』より)
つまり、自分の心の状態を客観的に観察できるようになるだけでなく、「ただ気づき、ありのままにとらえる」ことができる。つまり、自然体だ。
即効性はないが、しっかり練習をして、実践をしていけば、その効果を体感することはできる。
マインドフルネス瞑想をやっても、魔物は消えない!でも、飲み込まれない。
これが大きな違いだ。
魔物が出始めたとき、短い言葉に戻るという方法がある。
マントラのような単純な言語刺激は、注意を一点に再定位させる働きがある。注意が現在の感覚や単語に戻ると、前頭前野を中心とした認知制御ネットワークが再び活動しやすくなる。
これは、扁桃体の情動反応を直接「止める」わけではない。しかし、前頭前野からのトップダウン制御が働くことで、過剰な情動反応が徐々に調整される可能性がある。ただし、この反応は即席では起こらない。神経回路は繰り返し使用されることで強化される(use-dependent plasticity)からだ。
普段からマインドフルネス瞑想などで「今に戻る」練習をしていなければ、本番の強いストレス下でその回路を安定して使うことは難しい。
だからこそ、マインドフルネスはメンタルトレーニングの「基本」になる。
魔物を消そうとしなくていい
多くのアスリートは、
「緊張しないようにしよう」
「不安を消さなきゃ」
と考える。
でも実際には、魔物を消すことはできない。
なぜなら、それは脳の生存本能だからだ。
大切なのは、魔物を消すことではなく、魔物が出てきても慌てない脳を育てること。
その土台になるのが、マインドフルネスだと思う。
私は、プロアスリートにメンタルトレーニングの一貫でマインドフルネス瞑想をお伝えしている。その効果もアスリート自信が実感しているだけでなく、集中の質が変わったという声もある。
マインドフルネス瞑想は、アスリートが抱えるアイデンティティの固定の問題の解決策にもなるが、このテ—マは次の機会に書いてみたい。
ライフアスリートにも同じことが起きている
魔物の問題は、トップアスリートだけの話ではない。
仕事でも、家庭でも、人生でも。
失敗できない
期待に応えなきゃ
評価を落とせない
そう思った瞬間、私たちの脳にも同じ「魔物」は現れる。
だからこそ、
「心の動きを知ること」
「気づく力を育てること」
が、競技だけでなく人生そのものを支える土台になると思う。
最後に
魔物は消せない。でも、慌てない脳は育てられる。
そしてその第一歩は、
「今、自分の中で何が起きているか」に気づくこと。
そこから、本来の自分のリズムが戻ってくると私は思う。さらに、恐れをなくすことではなく、恐れと共に正確に反応できる脳を育てること。それが本当のメンタルトレーニングなのかもしれない。
参考文献
Beilock, S. (2010). Choke: What the Secrets of the Brain Reveal About Getting It Right When You Have To.
Tang, Y.-Y., Hölzel, B. K., & Posner, M. I. (2015). The neuroscience of mindfulness meditation. Nature Reviews Neuroscience.



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